二人の男

 ほこりっぽい殺風景な部屋のガタがきたベッドに腰かけ、通信機を耳に当てている男は、黙って相手の話を聞いていた。
 むこうはこちらの情勢を聞きたいだけで、話すことは大した内容ではい――と、男は思っている――が、昔馴染みの義理もあり、邪険にするわけにはいかなかった。
 それにどうせ、急ぐ用事があるでもない。
 服装と雰囲気、そして顔に大きく残る傷痕から、男が職業傭兵であることがわかる。ここは前線で、そんな種類の人間はごろごろしているのだ。
 いや、前線だった。
 つい三日ほど前、戦争は終わった。従って【前線】も存在しない。物騒なことは以前にも増して変わりなくとも。
『……ってわけさ。まったく参るよ』
「ご苦労だな」
『そっちはどんな具合だ? まさかこんな形で終戦とは思ってもみなかったぜ』
「別に、これといって。そりゃ少しは荒れるだろうが」
『仕方ないだろうな。お前はどうする? もう“スコーピオン”もないだろう』
 言われてその事実に初めて気づき、男は少しショックを受けた。
 自分の育った施設がなくなったということがショックだったのではない。なくなったという事実を考えもしなかったことがショックだった。
『おい?』
「ああ……そうだな」
 実際は心配などしていなかった。国や組織といった縛る鎖のなくなった物騒な状況で、傭兵なら仕事はいくらでもある。そのくらいの腕前はあると自負していた。
 だが、それから? その後は?
 “スコーピオン”は卒業した孤児に仕事をさせ、給料から養育費を返還させる。男も訓練所を出てから、ずっとそれを払ってきた。
 今になってその必要はなくなったといわれても、他にするべきことは思い当たらない。
 “スコーピオン”はどうなっているのだろう。統括していた“民”の自治組織はなくなった。少なくともその上層部は。
 依頼を受けて報酬を決め契約をし、それに適した人材を送り込む。あるいは、施設の下にある各種研究所・工場・工房などで卒業生である研究者や職人が作った製品を出荷し、やはり卒業生である商人にさばかせる。一方、将来の収入を確保するため、孤児を育成・訓練してあらゆる方面の専門家を輩出する。
 それら一連の組織が、まさか丸ごと機能しなくなったりはしないだろう。……たぶん。
 男はとりあえずの行動を決めた。
 “スコーピオン”の動向をさぐり、今後どうなるのか見定めてみよう。そのくらいの借りはある。自分を育て、傭兵としての技術をたたきこんでくれた、あの施設。


 革張りのソファにだらしなく寝そべった細身の男は、器用に片目を開けた。
 夕焼けの赤が、窓から差し込んで床を染めている。血だまりのようだ、と思った。
 頼りなく感じられるほど華奢な体つきだが、寸鉄も帯びていない遊び人のような風情からは意外なほど、元前線地帯にいるとは思えない落ち着き払った態度だ。
 どうしようか、と男は考えていた。
 血のような赤は、甘い死を連想させる。
 ここには退屈を紛らわせてくれる女たちもいない。唯一、退屈を忘れさせてくれた女は、相思相愛の相手と消えてしまった。
 強力な魔法使いの宿命とはいえ、この人生は永すぎた。
 それでも、あの女に出会うまではそこそこうまくやっていた。退屈をやり過ごすことができた。
 目を閉じるとまざまざと浮かぶ、鮮やかな青い瞳。自信たっぷりに物騒な戦乱を横切る、大胆な足取り。揺らぐことなどあり得ないとばかり、きっぱりした口調。直感のような即座の判断ですべてを正確に見抜いていた。
 あの女がいない世界は、あまりに退屈でこのまま朽ち果ててしまいたくなる。
 ――いや、いないと決めてしまっていいのだろうか?
 男はゆっくりと双眸を開く。
 確かに消えてしまった。だが、この世に存在していないと決まったわけではない。
 あれほど強烈な個性が失われたというのに、世界に何の影響もないはずがない。
 理論的な男にしては珍しく、裏付けもない突飛な考えだ。しかし、それに説得力があるように感じられるのは、やはりあの女が特別だったからだ。
 ではどうしよう、と考えた男は、また夕焼けの赤に視線を向けた。
 窓の外の木立が影を落とし、一部が切り取られて赤いさそりになる。
 あの女の腕にあったのと同じ、赤いさそり。同郷なら誰にでもあるはずだ。“スコーピオン”は有名な組織である。
 行ってみようか。
 太陽の角度が変わり、赤いさそりは消えつつある。男の思いつきは消えそうにない。
 会えるなどと期待してはいない。行って何もなくても構わない。何もすることがなくて、退屈で死にそうだ。
 とりあえずの行き先を決めた男は、しばしのまどろみに身を任せた。


 遠いようで近い、元前線地域の端と端にある、安宿での話である。


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キリリクいただきました氷水様のリクエスト、プレ・バージョン。
あまりにも長くお待たせしていて申し訳ありません。本編はこの後、残された二人の男がなりゆきでコンビを組む話です。
これはそのプロローグというか、予告編のようなもの。
お待ちいただく間のお茶請けにどうぞ。

枕守

「ここの碑文はどう読む?………あれ」
 つい数分前まで熱心に同じ魔道書を見つめていた双眸は安らかに閉じられ、静かな寝息がもれている。
 アンバーはそっとリスクの肩を抱き寄せ、バランスを崩してあらぬ方向へ転がらないように、自分の肩にもたせかけた。
 疲れているのも無理はない。珍しく仕事もないここ最近、まさに晴耕雨読の毎日で、特に今日はこの時季しか採れないきのこを昼間のうちに山ほど採ってきて、夕飯にたらふく食べた。
 アンバーがリスクほど眠気を感じないのは、男女の基礎体力差というやつだ。
 魔道書の続きを追う視線も、ついついリスクに吸い寄せられる。
 きれい……だな。
 ぼんやりとそう思いながら、アンバーは魔道書に視線を戻した。
 内容は一応頭に入れながらもリスクが気になって仕方がない。くすぐったいような重さが甘く感じられ、どうしてもそちらへ注意がそらされる。
 アンバーは一度、冗談めかしてそのことをリスクに言ったことがある。
「お前が気になって、他に注意すべきことがあるのに、それどころじゃなくなる」と。
 返ってきた反応は、意外だった。
「あ、オレも。よくあるよ、そういうこと」
「…………お前も?」
 リスクよりアンバーのほうが驚いただろう。笑ってしまえるほど真面目で正直な現ヴァンデッドが、何より優先すべき仕事より注意をひかれることがある、というのだ。
 当のリスクは、そのことをさほど大問題とは思っていないようだった。
「うん。けっこうまずい、と思ったりする」
 それはまずいだろう。ヴァンデッドは最強の魔法使い。何者にも負けることは許されない、やっかいな称号。
 だが問題はない、とリスクは言う。
「オレを倒したやつが次のヴァンデッドだし、そいつが魔法使いでなくても他の、オレの次に強いやつがヴァンデッドだし。理想は後継者を見つけて円満退職。でなくても、ヴァンデッドの名は途絶えない」
 過去の歴史の中では、実際そういう形でヴァンデッドを継いだ者もいないわけではない、らしい。
「アンバーに気を取られて負けるなら、それもいいかなって思う」
 照れたように笑った少女を、思わずきつく抱きしめてしまったことは忘れられない思い出だ。
 悪あがきをあきらめ、アンバーは魔道書を閉じた。
 結局のところ、この少女以上に自分の興味を引くものなど存在しないのだから。
 ベッドに運ぶのはもう少し後でもいい。
 しばらく見惚れていようと決めたアンバーは、リスクを抱きかかえるようにして居心地を整え、そのひょうしに乱れてリスクの顔を隠した髪の毛を払いのけた。
 どうせまたすぐに仕事が飛び込んでくるだろう。
 それまでは、リスクの時間は自分のものだから。
 何かと言い訳をしつつ、アンバーは夜更けまで枕守となっていた。

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 恒例、疲れているときの甘いもの。
 アンバーにいい目を見せよう、と思ったのですが…ま、こんなところです。
 私の書く男性像は割と情けないですね。

ファースト・コンタクト

 恒例の、ストレス発散の一気書きです。
 今回は『クロスアロー』本編直後、クレスタとベルデオには出番がなかった番外編のあたり。そのうちベルデオ編も書くかも。
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 勤め先であり住み家でもある宇宙船“クロスアロー”が定期点検を兼ねた改修に入ったため、二ヶ月の休暇を得たクレスタは久しぶりに実家に帰省することにした。
 田舎というほどでもないが、都会とも言い切れない。中途半端な規模の生まれ故郷へはもよりのコロニーから定期便を乗り継いで四日。
 午後には目的地に到着、というその朝、クレスタは自由席の一席に腰を下ろした。
 しだいに混雑してくる車中を尻目に、前もって買い込んだ雑誌に目を通す。
「ここ空いてますか」
「ええ、どうぞ」
 と答えて顔を上げると
「あ」
「え?」
 同時に声をあげた。
「クレスタ…か?」
「コレルオネ?」
 同じ大学に進学した、唯一の同級生だった。
「久しぶりだなあ。里帰りか?」
「そう。コレルはこっちに就職したんだったっけ」
 荷物を網棚に押し込み、すっかり出張中のサラリーマンという風情の友人は、一気に時間を昔に戻して気安い口調で話しかける。
「まあな。景気はどうだ? 今は貨物船乗りか。しかもクロスアローだろ?」
 おや、とクレスタは思った。
「先輩を知ってたんだ?」
「直接知り合いってわけじゃないけど、有名人だったからな。仕事にも厳しいだろ」
「そうでもない」
 自分でも意外な事実だが。
 と、携帯電話が鳴った。コレルだ。
「…ああ、もう帰る。……うん、うん……大事にしろよ。じゃあな」
 短い通話を終えると、礼儀正しく視線を雑誌に落としていたクレスタに問われるより先に、照れくさそうに言った。
「あ、俺、結婚したんだ。来月には親父さ」
「……へえ。それはおめでとう」
 にっこり笑って言ったクレスタに、コレルはうなずいた。
「どうも。お前はそういう予定ないのか?」
「今のところは。ああ、でも先輩が新婚ほやほやだよ」
「クロスアローが結婚したのか? 意外だな…」
「そうか?」
「何となく。…美人だろ」
「どうしてわかる?」
「学生の頃、行きつけのバーで何度かクロスアローが女と一緒のところを見かけたことがあるんだ。相手は毎回違うんだけど、どの女も美人だった」
「……バーっていうと……」
「“アストロロジー”って店だよ。アパートに近くてさ」
 その女は毎回変装していただろうが同一人物で、しかもレドと一緒にいたのは純然たるビジネスの話をするためだった、ということを知っているクレスタだったが、そこは賢く黙っていた。
 他愛のない話やかつての同級生の近況などを話していると、あっという間に到着した。
「じゃあな。また連絡する。みんなも会いたがるだろうし、飲みに行こうぜ」
「ああ」
 お互いの連絡先を交換し、歩き去る友人の後姿を、クレスタはぼんやり見送った。
 卒業を控えたあのときまで、自分もああなるのだと漠然と思い描いていた、きっちりとスーツを着込み書類鞄を小脇に抱えたビジネスマン。
 人生どうなるかわかったもんじゃない。
 クレスタはふっと息を吐いて笑った。
 鞄を提げてゆっくりとした足取りでホームを後にする。
「クレスタ!」
 聞きなれた女性の声が迎えてくれた。最近Uターン就職をした二番目の姉だ。
 その半歩後ろに、ショートカットの女性がにこにこして立っている。クレスタの記憶にない人物だ。
「姉さん。わざわざ迎えに来てくれたの?」
「買い物のついでよ。紹介するわ、弟のクレスタ。こちらは私の友人、ステフィ」
 クレスタは物静かな印象の女性と礼儀正しく挨拶をした。
「休暇をうちでどうぞって誘ったの。ちょうどよかったわ、クレスタが帰ってきて」
「つき合わせちゃ迷惑よ」
「いいのいいの、どうせ暇なんだから。あ、ちょっと待ってて」
 そこでなにか思い出したらしく、通りかかった売店に駆け込んで行った。
 相変わらずだな、とクレスタは苦笑した。
「すいません、騒々しくて」
「いいえ。あの、ほんとに気にしないで下さいね。一人でも大丈夫ですから」
「ええ。でも良かったら、気が向いたときに一緒に出掛けてもらえませんか。こっちにはもう友達もあんまりいなくて」
「じゃあ、お暇なときに」
 ためらいがちだった笑顔が本物に変わったのを見て、クレスタはなんだかうれしくなった。
 人生どこでどうなるかわからない。
 思いがけず楽しい休暇になる、予感がした。

魔法使いの城にて

「……っと、こんなもんかな」
 モップを片手に磨き上げた木製の床を見渡し、リスクは満足げに呟いた。
 永らく彼女以外は年寄りばかりだった魔法使いの城は、使用されている部分のみ手入れと掃除がされていて場所によっては崩れかけたりしている。
 しかし、リスク=ヴァンデッドの名の下に、再び八人の賢者が集いつつある今、城が元の姿を取り戻すのもそう遠い話ではなさそうだった。
 バケツとモップを持ったリスクはがらんとした部屋を見回した。作り付けの棚にはぽつぽつと置き忘れられたようなガラクタが置かれ、飾り気のない頑丈一点張りの机と椅子が片隅に置いてある。
 壁紙は色あせ、床板も痩せてすきまができているみすぼらしい部屋だが、ちりひとつなく掃除されている。
 軽く溜息をついて、リスクは“転移”で部屋を出た。

 掃除道具を片付け厨房に向かうと、案の定、厨房のある一画の掃除を終えたアンバーがお茶をいれようとしているところだった。
「あ、オレにも」
「ん」
 ティーポットにお湯をそそぎ、アンバーはちらりとリスクを見た。
「またあそこも掃除したのか?」
「うん」
 アンバーが振り返ると窓の向こうに城の隅に位置する塔が見えた。
 リスクが掃除していたのは塔の最上階にある部屋だ。
「他に掃除する場所はいくらでもあるだろうに。何だってあそこばっかり」
「あれ、言ってなかったっけ?」
 リスクは戸棚から今朝作っておいたパイを取り出して切り分けた。
 アンバーを見ながら切り分ける手つきをして見せると、アンバーはうなずいて自分も食べることを伝える。
「なにを」
 それぞれのパイとお茶を前に、台所用の小さな丸椅子に向かい合って腰掛けた。
「あそこは初代ヴァンデッドの部屋なんだよ」
「初代?」
「そう」
「……今は何もないだろう」
「うん。だけどあの部屋のドアは紙で封印してあってね。“転移”を使わないと入れない」
 てっきり歩くのが面倒だから“転移”を使っているのだと思っていたアンバーにとっては初耳だ。
「へえ。紙って、ただの紙か? マジック・ロックじゃなくて」
「そう、マジック・ロックどころか、ドア自体には鍵もかかってない。紙が痛むたびに上から新しい封印紙を貼ってあるからもう見えないけど、あの部屋を最初に封印したのは初代ヴァンデッドなんだ」
 リスクは茶飲み話に口伝を語って聞かせた。
 数千年の昔、自らの命が残り少ないことを悟った初代ヴァンデッドは、自分の部屋をきれいに片付けて封印し、こう言い残した。
「後のすべてのヴァンデッド。その恨みも呪いも、すべて私が引き受けよう。他に立ち向かうもののいない難事に立ち向かい、普通の人間が受ける幸福を受けられない、ヴァンデッドという地位を創り、この世に残す私の、これが責任だ」
 以後、各ヴァンデッドが誰かに八つ当たりしたくなったとき、弱音を吐きたくなったときは、この部屋に行って初代にあらん限りの悪口雑言を並べ立てたり、泣き喚いたり、最強の魔法使いらしからぬ言動を思う存分するようになった。
 アンバーは聞き終わってお茶を飲み干した。
「変わり者だな」
「あはは、そうだね」
 リスクはアンバーの差し出した手に、空のティーカップを渡した。
「お前も行ったことがあるのか?」
 おかわりをついだティーカップをリスクの前に置き、アンバーは何気なく聞いた。
「掃除以外ではないなぁ。小さい頃は見晴らしがいいから、たまに行ったりしてたけど。もともとこの城は初代ヴァンデッドの所有だったらしいよ」
「ふうん」
 と、アンバーは空になった皿を見つめた。
「もう一切れ食べる?」
「……いや、やめとこう。夕飯はどうする?」
 アンバーが立ち上がったのを潮に、リスクも腰を上げて食器を片付けた。
「いつもの時間でいいんじゃないか? 支度にかかるまで書庫にいるよ」
「洗っておくから行っていいぞ」
「じゃあ頼むよ。ありがと」
 リスクがゆったりとした足取りで出て行くのを見送り、アンバーは窓の向こうの塔を改めて見た。
 数秒の後、顔をしかめて視線を外し、食器を洗いにかかる。
「オレがいる間は、あんたに出番はないぜ」
 呟いた声が、初代ヴァンデッドに届くわけはなかった。


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 久しぶりの一気書き。
 とっても普通のワンシーン。案外こういうシーンが少ないなーと思って書いてみました。そして同時に、短いだけに、深読みしようと思えばいくらでもできます。
 どんなに強い魔法使いでも、日常生活は普通の人と何にも変わりません。そういう穏やかな一コマ。